インキュナブラ(incunabula)とは、いわゆる『42行聖書』をグーテンベルクが 1454/55年頃に完成させてから、1500年末までにヨーロッパで活版印刷された 印刷物を指し示す。
解説を読む
本書はローマの歴史家ポンペイウス・トログス(1世紀頃)の著作『ピリッポス史』44巻を後の歴史家ユニアヌス・ユスティヌス(3世紀頃)が抄録したものである。
古代ローマ帝国時代、2世紀半ばに風刺詩人として活躍したユウェナリスは、ローマの東南東約100kmに位置する町アクウィーヌムに生まれたといわれる。
ローマ帝政初期の劇作家、政治家、またストア派哲学者として名高いセネカ(4 BCE-65 CE)は、スペインのコルドバに生まれ、弁論家父大セネカと区別するため小セネカとも呼ばれる。
ケルンのカルトジオ会士であったヴェルナー・ローレヴィンク(c. 1425-1502)が執筆した『時の束』は、ラテン語の初版が1474年にケルンで印刷された歴史書である。
本書は14世紀初めに書かれたとされる『ゲスタ・ロマノールム』のラテン語版である。そもそも、誰が、何処で『ゲスタ・ロマノールム』を著したかについて明確な結論は出されていない。
1480年6月10日の日付が印刷されている。ウェストミンスターのウィリアム・キャクストン工房にて印刷。日付が明らかなものの中ではキャクストンによって折記号が附された、はじめての本。下敷きにした写本は、『ブルート』である。
『諸学の鑑』、『歴史の鑑』、及び後代の追加である『道徳の鑑』と共に、13世紀のドミニコ会士ヴァンサン・ド・ボーヴェ(Vincent de Beauvais)による『大いなる鑑』(Speculum maius)の中の一
13世紀のドミニコ会士ヴァンサン・ド・ボーヴェ(Vincent de Beauvais)による百科事典的著書『大いなる鑑』(Speculum maius)の第3巻あるいは第4巻として扱われているが、実際にヴァンサン・
ヴァンサン・ド・ボーヴェ(Vincent de Beauvais, ラテン語名Vincentius Bellovacensis; c. 1190-1264)はドミニコ会士で、中世最大の百科事典『大いなる鑑』を編纂した事で知られる。
この著作はヨーロッパで初めて活版印刷された著者名別書誌として知られる。950人以上の著者によって書かれた約7000冊が収録されている。本文で、著者名は、年代順に列挙されていて、聖クレメンスから始まっている。これは慶應本でも同じである。
この巻は、1140年にグラティアヌスが編纂した最初の体系的な教会法教令集の初期印刷本である。
ヨハネス・ヴィヴェトゥスなる人物(生没年不明)によって編纂された本書は、中世の正書法について記した一冊である。
主にレオナルド・ブルーニ(Leonardo Aretino Bruni; 1369-44)の手になるアリストテレス諸著作のギリシャ語からのラテン語翻訳を収める。
スコットランド生まれのヨハネス・ドゥンス・スコトゥス(1265/6-1308)は「精妙博士」(Doctor Subtilis)とも尊称され、13世紀を代表するスコラ学者である。
マルティアヌス・カペラは、5世紀頃に活躍したアフリカ出身のローマの著述家であり、おそらく弁護士をしていたとされる。本作品の成立年代は定かではないが、5世紀の最終四半世紀に書かれたという説もある。
セヴィリアの司教、聖イシドール(c. 560-636)の著した『語源論 (Etymologiae) 』は、最古の百科辞典といわれている書物であり、中世において広く使われ、同時代における事典編纂の先駆とみなされている。
サクロボスコ(d. 1236年頃)は13世紀の著名な数学者・天文学者である。
著者バルトロマエウス・アングリクス(1203以前-1272)はイギリス出身のフランシスコ会士で、サフォーク州のグランヴィル(Glanville)家出身の14世紀の人とも考えられたが、信憑性はない。
キャクストンが1480年、1482年と続けて出版したのに続き、イングランドの年代記第三版としても目されるのがこの、『セント・オーバンズ[オルバンズ]の(イングランド)年代記』だ。
本書の著者アピキウスは、裕福な貴族階級出身でローマ時代の美食家として知られる。しかし彼自身に関する詳しい歴史資料は見当たらず、その生涯については詳しいことは分かっていない。
本書は15世紀イタリアの人文主義者ジョヴァンニ・マルケージニの著作である。
この合冊本(ザンメルバンド)に含まれた個々の著作についてはそれぞれの項であつかうが、ここでは合本全体としての成立とその特徴について記す。この書におさめられた著作はいずれも15世紀末に印刷されている。
アルマンド・ド・ベルヴェゼルArmand de Belvezer(アルマンドゥス・デ・ベロヴィス)は13世紀末から14世紀前半に活動したドミニコ会士(d. 1334年)である。
全30章からなり「三段論法」あるいは「三段推論式」(syllogismus)を扱っている本書の表題(logica beati Thome aurea et proficere volentibus utilis et necessar
本著作は、フィレンツェにおける最大の説教家となるサヴォナローラが著した全10章からなる論理学の教科書『論理学摘要』(Compendium aureum totius logice)である。
本書は実用的な内容の印刷本2点を収めた合冊本である。この書に収められている第一作は、時間や暦の計算法を記した「コンプトゥス」と称されるもので、シュトラースブルク(現・ストラスブール)でヨハン・プリュスによって1488年に出版された。
本書のタイトルである「コンプトゥス(Comptus)」とはラテン語で計算、特に時間の計算の意をもつ。太古の昔から、天文学者や数学者たちは天文周期表を計算し、より正確な暦を算出するべく努めてきた。
本書はキケロ(106-43 BCE)やアエネアス・シルヴィウス(Aeneas Silvius, 1405-64; ローマ教皇2世の筆名)などの書簡を手本としたラテン語の「書簡作文法(ars dictaminis)」の教授本である。
レギオモンタヌス(1436-76)は、ドイツ・ケーニヒスベルクに生まれた天文学者・数学者である。本名はヨハネス・ミューラーであるが、生地のラテン名からとってヨハネス・デ・モンテレギオ、やがてレギオモンタヌスと称した。
ギリシャの数学者ユークリッド(c. 330-275 BCE)が著した幾何学の古典を、400以上の幾何学図形とともに初めて印刷したものが本書である。
ダンテ(1265-1321)の『神曲』ほど、数多くの注解が書かれ、また挿絵の対象となった作品はない。原典の誕生と同時に注解の伝統が生まれ、現代のCharles Singletonなどの学術的校訂版まで続いていると言っても過言ではない。
自然界に存在する動物、植物、鉱物を収集し、分類し、自然に対する知識を体系化してきた博物誌は、古今東西長い歴史を持つ。東洋では人間に役に立つ「薬」という視点で本草学があり、これも博物誌の一つとみなすことができる。
中世の大学では学問を「クアドリビウム(4科)」と、文法・論理・修辞から成る「トリビウム(3科)」の自由七科に分類した。
紀元1世紀の著述家プルタルコスは、46人のギリシャ、ローマの重要な哲学者や政治家の評伝を記した。それらの多くは、互いに似たところのあるギリシャ人とローマ人を、一人ずつ組み合わせて比較するという形式を用いて著されている。
本書はイタリアの数学者、ルカ・パチョーリによる最初の著作である。著者名Lucas de Burgo S.
本書は、15世紀末にラテン語で書かれた7編が集められた合冊本である。
本書は、15世紀末にイタリアの初期人文主義の影響のもとにラテン語で書かれた韻文作成の教則本で、現在のザクセン州ライプツィヒ市で印刷された。
本書は、15世紀末にラテン語で書かれた7編が集められた合本の第2書で、その内容はラテン語の六脚律と五脚律の詩文作成法である。編者はイタリアのペルージャ出身の人文主義学者フランキスクス・マタラティウス(1443-1518)である。
本書は15世紀末に、ラテン語韻文について書かれた書物である。全7編から成る合冊本の第3書で、ラテン語韻文の構成を解説する第2書のように、詩文作成法についての内容である。
本書は、ヴェネツィアの詩人として有名なヒエロニムス・バルブスによるラテン語の著作で、合冊本の第4書として収められている。バルブスはローマの古典ラテン語の専門家であり、古代古典に関して博識があり、諸国の大学で教授を務めた。
本書は、15世紀末、あるいは16世紀初頭の時期にドイツ東部のライプツィヒにて印刷されたものである。
本書は15世紀末に7作品を組み合わせた合冊本の第6書である。第5書のティブルス(IKUL 031e)と同様に、ローマ古典作家による哀歌である。
15世紀後半に活躍したドイツ人パウル・レッシャー(もしくはレスケリウス)が著わした本書は、本合冊本に収められた最後の第7編で、他のテクストとほぼ同時期に印刷された。
賢王(el Sabino)の名で名高いアルファンソ10世(1221-1284)はフェルナンド3世(Fernando III)の子として1221年に生まれた。
アニキウス・マンリウス・セウェリヌス・ボエティウス(c. 480-524)は、ローマの名門アニキウス家出身の政治家・哲学者である(IKUL 028参照)。信仰と理性を結び付けようとしたため、最初のスコラ学者とも呼ばれる。
15世紀のイタリアにおいて、数多くの古典作品の出版を手がけたアルドゥス・マヌティウス(伊名アルド・マヌーツィオ、c. 1452-1515)は、「学匠印刷家」としてその名を知られている。
マニリウスはローマ時代の詩人で、シリア生まれの解放奴隷ともいわれるが、その生涯は不詳である。
「グーテンベルク聖書」「マザラン聖書」とも呼ばれる本書は、活版印刷術による西洋最初の本格的な書物であり、「印刷革命」の端緒を開いた。紙本と羊皮紙本がある。本文は4世紀に聖ヒエロニムスがラテン語に訳したウルガタ聖書に属する。
13世紀のドミニコ派の修道士、ヴァンサン・ド・ボーヴェは、時のフランス王ルイ9世の命を受けて、『自然の鑑』、『諸学の鑑』、『歴史の鑑』の3部から成る百科全書、『大いなる鏡』(Speculum maius)を編纂した(
本書は世界初の英語による活版印刷本であるが、イギリスではなく現在はベルギーの水の都ブルージュで作られた。
フランチェスコ・ペトラルカ(1304-74)は、1341年にローマで桂冠詩人の冠を受けると、その足で同世代の友人、パルマの権門アッツォ・ダ・コレッジョを訪れ、パルマ郊外のアペニン山脈に近いセルヴァピアーナにあるコレッジョ家の城に、13
中世に制作された彩色写本の多くは、聖務日課書、ミサ典書、詩篇、あるいは時禱書といった典礼書や祈祷書の類であり、貴族や高位聖職者のために注文生産された写本のなかには、当時の代表的な画家による細密画を含んだ豪華なものも多い。
本書は、15世紀末にパリとロンドンでほぼ同時期に出版された3つの印刷本が一緒に綴じ合わされた合冊本である。第一作はウィリアム・リンドウッド著『イングランド教会法摘要』で、リチャード・ピンソンが1499年にロンドンで印刷した版である。
本書はイングランド出身の教会法学者ウィリアム・リンドウッド(c. 1375-1466)の代表作で、彼がアーチ裁判所の裁判官を務めた時期に執筆されたといわれる。1222年のオクスフォード公会議からヘンリー・チチェリ(c.
本書は、おもに教会法や市民法の文献に用いられている略語の解説書である。索引が付され、法学書を読むために便利な手引書として用いられたと思われる。著者の名前は明記されていないため、長年のあいだ著者不明とされてきた。
本書の著者ヨハネス・ハインリーン(c.
本書は、新プラトン主義者達の短い著作をマルシリオ・フィチーノが翻訳し集めたものである。イアンブリコス(c.
本書は15世紀のイタリアで活躍した人文主義者、ジョヴァンニ・トルテッリが1450年頃に著した書物を後に印刷したものである。最初に印刷されたのは1471年頃であるが、慶應本は1480年にヴィチェンツァで刊行された。
本書は、フーコ・ヤンゾーン・ファン・ウルデンが刊行した、オランダ語の『主イエス・キリストの生涯』(Dat Leven ons Heren Jhesu Christi)の断片である。