デジタルで読む福澤諭吉

近代日本の幕開けの先導者となった福澤諭吉、その教育理念は彼が創立した慶應義塾に脈々と受け継がれています。 本データベースは慶應義塾創立150年を記念した、慶應義塾大学福澤研究センターとの共同プロジェクトとして、福澤諭吉著作の初期版本55タイトル、全119冊の全文をデジタル化し公開するものです。

解説を読む

  • 増訂華英通語. 上
    F7-A01-01

    福沢の最初の出版物である。

    サンフランシスコで出版されていた清国人子卿著の「華英通語」という英華対訳の単語集を、福沢が万延元年に咸臨丸に搭じて初めてアメリカに渡ったとき、同地で買い求めて帰国の後、これに英語の発音と華語の訳語の日本読みとを片仮名でつけ、「増訂」の二字を冠して出版したものである。

  • 西洋事情. 初編. 一
    F7-A02-01

    初編三冊、外編三冊、二編四冊より成り、それぞれ慶応二年、同三年、明治三年の刊記がある。
    福沢の著訳者としての名声を一時に海内に轟かしたもので、最も広く世に行なわれ、影響力の甚だ強かった著訳書の一つである。

  • 雷銃操法. 一
    F7-A03-01

    長州征伐で幕軍が長州勢に散々の敗北を蒙ったのは、イギリスから仕入れたライフルの威力の前に、幕軍の旧式の鉄砲が物の役に立たなかったからだと聞いて、福沢はこの新鋭の武器のことを知りたいと思っていたところ、偶然芝口の和泉屋善兵衛という書肆に古本を探しに立ち寄ったとき、一冊の洋書を示され、これは何の本かと尋ねられた。

  • 西洋旅案内. 上
    F7-A04-01

    福沢は慶応三年に幕府の軍艦受取委員の一行に随行して二度目のアメリカ行をしたが、旅行中、上司の命を拒んだり不従順であったというので、帰朝後に謹慎を命ぜられて、域中の外国方へ出仕を差止められた。その謹慎中に執筆したのがこの書である。

  • 條約十一國記
    F7-A05

    慶応三年までにわが国と条約を交換した十一ヶ国、アメリカ、オランダ、イギリス、ロシヤ、フランス、ポルトガル、プロシヤ、スイス、ベルギー、イタリー、デンマークの各国について、極わめて簡略な紹介をした小冊子である。

  • 西洋衣食住
    F7-A06

    西洋人の用いる衣服、食器、室内調度品などの簡単な図入りの説明書で、最後に懐中時計の時の読み方を解説している。

  • 兵士懐中便覧
    F7-A07

    福沢の著訳中の稀観本である。福沢みずからこの書のことを忘れてしまつたものと見えて、明治版全集には収録されていない。「明治文化全集」の軍事篇に収められて初めて世に知られ、昭和九年七月刊の「続福沢全集」第七巻にも収められたが、右の両全集とも尾佐竹猛博士所蔵本をテキストにした。その後、昭和十二年に塾員亀山三郎氏の寄贈により慶応義塾図書館でも一本を架蔵することができた。

  • 訓蒙窮理圖解. 上
    F7-A08-01

    初学入門のための物理学の初歩を童蒙にわかり易く説いたもので、当時の小学校教科書などに広く用いられた。

  • 洋兵明鑑. 一
    F7-A09-01

    熊本藩の依頼によって小幡篤次郎、甚三郎の兄弟と分担して共訳した西洋の戦術書である。ギリシャ以来の著名な戦闘における用兵術に関するもので、当時としては最も新しいナポレオンの戦術を多く採り上げている。わが国に於けるナポレオンの戦術紹介書の嚆矢であろうといわれている。

  • 掌中萬國一覧
    F7-A10

    ポケット型の小冊子に、世界各国の人口、人種、文明の程度、言語、政治形体、交通、財政等の概要を記したものである。
    木版和紙横長の六×一三㎝の袖珍本である。薄茶色無地の表紙、左端に子持罫の枠の中に「掌中万国一覧 全」と記した題箋が貼ってある。

  • 英國議事院談. 一
    F7-A11-01

    明治政府の成立後間もないとき、政府部内でも国事を評議する手続体裁などがわからずに困っていた。

  • 清英交際始末. 上
    F7-A12-01

    阿片戦争の始末およびその後のイギリスと清国との外交関係の経緯を敍し、これに関連する英清条約の訳文を添えたもの。

  • 世界国盡. 一
    F7-A13-01

    福沢の著書のうちで最も多く人口に噲炙したのは「世界国尽」である。世界地理の概要を童蒙の口に誦え易い調子で暗記させようとの配慮から、江戸の寺小屋などの習字手本によく使われる「江戸方角」「都路」などのように、七五調で面白く書き綴り、習字の手本とすると同時にその文句を諳誦して自然に万国の地理風俗を覚えさせる趣向で著わしたものである。

  • 啓蒙手習の文. 上
    F7-A14-01

    童蒙のための習字手本として、平仮名、片仮名、数字、十干、十二支、国名づくしなどを始めとして、初学のため簡単な文章などを大きな文字で記したもの。

  • 學問のすゝめ. 初編
    F7-A15-01-01

    福沢の著述家としての態度に一転機を劃した代表的著作である。

  • 童蒙をしへ草. 初編. 一
    F7-A16-01

    童蒙のために西洋の修身道徳の例話を集めて著述したもので、これ亦、当時の小学校の教科書などに広く使用せられた。

  • かたわ娘
    F7-A17

    この書は福沢の著訳書中、唯一の戯作風の筆致で、婦人の眉毛を剃り歯を染める陋習を警めたものである。

  • 改暦辧
    F7-A18

    木版半紙判(二二・五× 一四・七cm) 一冊本。表紙は本文と共紙の土佐半紙で、月桂樹のようなものをアーチ形に描き、その上に「明治六年一月一日兌」と横書し、右肩に長方形の枠の中に「壬申十一月官許」の印を押し、アーチの内部に「福沢諭吉著/改暦弁/慶応義塾蔵版」と三行に記し、左下に「慶応義塾蔵版之印」の長方形朱印が押してある。

  • 帳合之法. 初編. 一
    F7-A19-01

    日本に於ける西洋簿記学の最初の文献である。アメリカで連鎖組織の商業学校六十校ほどを経営していたブライヤントおよびストラットン共著の学校用簿記教科書(Bryant and Stratton, Common School,Book-keeping ) を翻訳したもので、まだ「簿記」という訳語がなく、わが国の商店などに用いられる「帳合」の語を以てこれに当てた。

  • 日本地圖草紙
    F7-A20

    小学校などの掛図用に作られた粗大の日本略図である。明治六年七月刊。寸法は用紙の大きさ一〇一×八九・五㎝、内部の匡郭は九八・五×八七・五㎝。ここに掲げるものは原図そのままの縮図である。

  • 文字之教 : 第一文字之教
    F7-A21-01

    初学児童のために文字を教えながら短文を作る練習をさせるための教科書として編纂されたものである。端書に漢字制限に関する福沢の意見があるので、国語学者などの注目を惹いている著作である。

    木版半紙判(二二・二× 一四・八cm)。「第一文字之教」「第二文字之教」「文字之教附録」の三冊から成る。

  • 會議辯
    F7-A22

    木版小型(一八・五× 一二・五㎝) 一冊本。茶色の和紙を表紙とし左上隅に題箋を貼る。題箋は太罫の枠の中に「会議弁 福沢諭吉/小幡篤次郎/小泉信吉/合著 完」と記す、見返しはなく、本文十七丁。それに三田演説会之序、憲法、式日を合せて十丁。奥附も刊記もない。

  • 文明論之概略. 巻之一
    F7-A23-01

    福沢の著書中、最も学問的体裁の整った著書で、西洋文明の大要を記して、この文明に向って進むことが日本の独立を全うする所以を説いたものである。

  • 學者安心論
    F7-A24

    文明の学者たる者は、政府の一方にのみ目をつけることなく、民間に独立して思うところを主張すべきであるとの趣旨を論じたもの。

  • 分権論
    F7-A25

    明治政府の中央集権的傾向を批判して、政治を分けて、政権は中央政府の手に収め、治権は地方に移譲して人民自治の気風を興すべきことを説いたもの。

  • 民間経済録. 初編
    F7-A26-01

    初学のための経済原論ともいうべきもの。西洋学説丸抜きの経済論の行われていたその当時にあって、日本経済の実状に即した経済論を展開している点に注目すべき著書である。

  • 福澤文集. 上
    F7-A27-01

    慶応義塾から出されて「家庭叢談」「民間雑誌」その他の新聞雑誌に寄稿した福沢の短かい文章や演説の原稿などを集めた文集である。

  • 通貨論
    F7-A28

    西南戦争による紙幣増発のため銀紙の間が著しく開いた通貨価値の急変に対する時事評論で、福沢はこの書を著わすために大蔵省の金庫を見学し、日本貨幣の沿革や西洋諸国の通貨事情に関する文献を大蔵卿大隈重信の手を通じて借り出して研究し、冒頭の一節だけは慶応義塾から出ていた「民間雑誌」と題する日刊新聞に発表したが、その続稿は書き卸しのまま単行本として出版したものである。

  • 通俗民権論
    F7-A29

    人民の権利自由を尊重してこれを伸長せしめることは、福沢の年来の宿願で、畢生の文業はこの一点に集中するといっても過言ではないが、権利自由の何物たるかをも解しない無識の人民が、俄かに民権の語を耳にして、自由と放恣とを履き違え、政府の政令に反対しさえすれば民権の伸長になると考えるような風潮も見られるようになったので、福沢は一般の俗耳に入り易い形で民権の真面目を説いて聞かせる目的で著わしたのが、この

  • 通俗国権論
    F7-A30-01

    初編と二編とがある。初編は約一ケ月で書き上げられた。すなわち前記の通り「通俗民権論」の脱稿したのが明治十一年六月十八日で、まだそれを印刷に附さないうちに、民権国権を同時に説くことが大切であると思って、勿々に本書を脱稿し、両書同時に出版することにしたというのであるから、国権論の起稿は六月十八日以後のことで、脱稿は恐らく緒言の末尾に記した七月二十二日であろう。

  • 民情一新
    F7-A31

    「文明論之概略」と共に福沢の歴史観を知る上において見遁がすことのできない重要な著作である。「文明論之概略」において、福沢は歴史を動かすものは一二の英雄豪傑の力ではなくて時勢であると論じた。この「民情一新」においては更にその論緒を発展させて、時勢を動かすものは交通の便によると説いた。

  • 國會論
    F7-A32

    この書の成立については「福翁自伝」に次のように記している。

  • 時事小言
    F7-A33

    前記「国会論」の項に記したように、初め「国会論」の続編のつもりで起草され、後に「時事小言」と題して明治十四年の秋慶応義塾出版社から刊行されたものである。明治十四年の政変直前に東北御巡幸に供奉中の大隈重信に使を以てこの書の仮製本五部を届け、その序でに東京の政界の雲行を報告したことがある。

  • 時事大勢論
    F7-A34

    民権自由の気風が盛んとなり、政府もこれを統御するに苦しむの余り、ややもすれば抑圧制御の手段を講じ、反動守旧の傾向が見られるようになったので、維新以来の明治政府の改進々歩の方向に在ったことを論じ、政府当路者の態度の変化を誠めたものである。

  • 帝室論
    F7-A35

    明治十四年の政変のとき、十年後を期して国会を開設すべき旨の詔勅が発せられたので、民間に幾つかの政党が結成されたが、その中には時の政府の庇護の下に帝政党と称するものも出現し、漫りに帝室のことを楯にとって政敵を論難するような事態が生じたので、福沢はこの風潮を憂えてこの論説を発表した。

  • 兵論
    F7-A36

    幕末以来の西力東漸の勢の前に、東洋諸国はその独力を保つために非常な危機に直面せねばなららかった。当時の日本は国の独立を護るに十分な力をまだ持っていなかった。この書は軍備充実を中心に、租税増徴、官民調和の必要を述べたもので、この三つの主題は永く時事新報の主論調を成した。これはその最初の論出として注目されるべきものである。

  • 徳育如何
    F7-A37

    この書は、ようやく反動の徴候を示して来た政府の小学校道徳教育の傾向に対し、福沢が極わめて批判的た立場に在ることを表明したもので、儒流教育との闘いを示す重要な論説である。
    明治十五年十月二十一日から二十五日まで四回に亘り「学校教育」と題して時事新報社説として発表し、十一月に四六判洋紙活字版の単行本として題名を「徳育如何」と改めて出版されたものである。

  • 學問之獨立
    F7-A38

    学校教育に関する政府の反動的干渉の傾向を批判したもので、明治十六年一月二十日から二月五日までの時事新報紙上に「学問と政治と分離すべし」と題して八回に亘り連載し、後でこれを纒め「学問之独立」と題して単行本として出版した。

  • 全國徴兵論
    F7-A39

    明治十四年の政変以後、福沢・大隈等の勢力を抑圧するため、明治政府は種々の小策を弄したが、教育界に於ける慶応義塾の勢力を殺ごうとする手段として、私立学校の学生に対する徴兵猶予の特典を剥奪した。この特典を持っていたのは私立学校では慶応義塾以外にはなかったので、この点の改正に関する限り、慶応義塾を目標としたものであることは明らかであった。

  • 通俗外交論
    F7-A40

    徳川幕府が諸外国と締結した不平等条約は明治時代の朝野の人々が常に心中に憤りを覚えたところであって、これの改正は明治政府の外交当局者の苦心してやまない問題であった。福沢はこの問題を一般人にわかり易く説明し、税則の不利を改め治外法権を撤廃せしむる日の来ることを促進するためには、日本人として外人に接する道を心得ねばならぬとの趣意を説いた。それがこの書である。

  • 日本婦人論. 後編
    F7-A41

    封建的観念からの人民の解放は福沢生涯の宿願であったが、日本の家庭に於ける婦人の地位は旧態依然たるものがあったので、これが解放のために立論したものが「日本婦人論」である。明治十八年六月四日から十二日まで八回にわたり時事新報社説として発表せられた。われわれはこの論説の単行本を未だ目挙したことはない。

  • 士人處世論
    F7-A42

    明治の士人が立身の道をひたすら官途に求めて政府の小吏となって満足するが如き風潮を批判し、士人処世の方向は官途以外に無限に広いことを論じたもの。

  • 品行論
    F7-A43

    「日本婦人論」の論旨を発展させて、男子の品行を論じたもの。

  • 男女交際論
    F7-A44

    「日本婦人論」「品行論」の論緒を発展させたもので、日本古来の風習において、交際はひとり男子の専らにするばかりで、婦人の間に交際の見るべきものなく、男女間の交際に至っては或いはこれを禁ずるかの如き風のあるのを批判し、今後の文明社会においては男女間対等の交際を盛んにすべきであるとの趣旨を述べたもの。

  • 日本男子論
    F7-A45

    「日本婦人論」「品行論」「男女交際論」などの論緒を発展させ、家庭の中における婦人の地位を向上解放させるのと同時に、男子の横暴不行跡を取って抑えようとの意図を以て論出したもの。

  • 尊王論
    F7-A46

    「帝室論」の所説を再論したもので、「帝室論」と併せて読まれるべきもの。この両書を併せて、福沢の死後に「日本皇室論」と題して出版されたこともある。

  • 国會の前途・国會難局の由来・治安小言・地租論
    F7-A47

    明治二十二年の憲法発布以来「時事新報は社説に帝国議会のととに論及するものが少くなかったが、その代表的論説四編を一編として纒めたものである。

  • 實業論
    F7-A48

    明治維新の変革において社会の組織を一変し、日本資本主義の基盤もやや固まって、漸く発展の機運を迎えるようになった折柄、福沢は実業界に根強く残存している封建的気風の打破払拭のために立論したもの。

  • 福翁百話
    F7-A49

    福沢が随時、客と談話した話題を書きとめておいたものの中から百題を選んで取纒めたもの。

  • 福澤全集緒言
    F7-A50

    明治三十一年版「福沢全集」(全五巻、時事新報社刊) の第一巻の巻頭に掲げるために執筆されたもので、その全集に収めた著訳書の成立の由来その他を記してある。「福翁自伝」がみずからの生涯の閲歴を語ったものとすれば、この全集緒言は著訳者としての福沢の自伝ともいうべきもので、両書相俟って福沢の生涯を知る上に欠くべからざる重要な文献ということができる。

  • 福澤先生浮世談
    F7-A51

    男女の交際法などを中心にした社会風教に関する談話。速記者をして速記せしめたので、福沢の著書としては珍らしい口語体の著作である。

  • 福翁自傳
    F7-A52

    福沢の生涯の閲歴を語ったもので、自伝文学の最高傑作の一つとして世に定評がある。明治三十年の十一月ごろから書き始められ三十一年五月十一日に脱稿したものと思われる。

  • 女大學評論・新女大學
    F7-A53

    徳川時代の女道論で最も勢力のあった貝原益軒の「女大学」に対しては、幕末、明治初期の頃から、福沢は甚だ批判的で、常にその所説を駁撃してやまなかったが、この書において福沢は「女大学」の各条項を徹底的に批判し、併せて自己の立場からの「新女大学」を書いたものである。

  • 福翁百餘話
    F7-A54

    「福翁百話」と同じような趣旨で、随時に思いついた所感を書きとめたもの。

  • 明治十年丁丑公論・瘠我慢之説
    F7-A55

    丁丑公論 西南戦争の勃発するや、それまで維新の元勲として盛名赫々たる西郷隆盛に関し、新聞雑誌の評論は掌を返したようにこれを乱臣賊子あつかいにしたのを見て、福沢は心中はなはだ不満の感を抱き、西郷をして死地に奔らしめた責任は明治政府に在りとなし、西郷の立場を弁護して政府の処置を論難したもの。福沢の「抵抗の精神」を見るべき文献として高く評価されているものである。