富士川文庫は、慶應義塾大学医学部で医史学を講じた富士川游(ふじかわ ゆう 1865-1940)博士の旧蔵書約1,700点3,600冊あまりのコレクションです。ここに公開するデジタル画像はその一部(997冊)です。今後も追加を予定しています。
※ 信濃町メディアセンター所蔵
解説を読む
刊本 . 和装
和
刊本 . 天保7跋 . 和装
写 大小様々 仮綴 袋入
大小様々 1. 寬政系譜続・屋敷拝領之覚・割付之覚(1册, 17x12cm.), 2. 日記抜書(1册, 17x12cm.), 3. 自伝覚書(1枚, 36x50cm.), 4. 覚(1枚, 17x46cm.), 5. 遺言状(1枚, 18x57cm.), 以上書類入1袋, 20x19cm.
写
刊・和
刊本 . 天保12 . 和装
大塚太作(野田文蔵手代)より吉野要蔵(奈須玄竹家來)宛 玄竹: 恒徳, 6代玄竹, 後に玄盅と改 む 写 仮綴
写 仮綴 知行所武州埼玉郡靑柳村日記
花押 黒印あり 安藤右京亮 松平備前守宛 内容: 武蔵国埼玉郡之内壹ヶ村 一, 高五百石八條領靑柳村之内右之通無相違御座候 以上
巻物
和歌一首
奈須玄竹(信徳, 7代玄竹)宛 写 内容: 奈須玄竹, 小島春庵養女縁組願に對する聞届申渡書 後日安政3(1856)不縁となる。
写 仮綴
靑柳村之内 純武左衛門他連名 伊奈忠左衛門宛 写 内容: 一, 石高五百石 武州八條筋 靑柳村之内 右之處壬辰之物成医師玄竹江可分相渡 御老中御証文御勘定所差出申候
太田米蔵(御番医師奈須玄竹家來)より高木清左衛門宛
明治維新により御番医癈止, 老齢御暇願度草稿6月10日付
押印 内容: 徳川旧臣元御番医師奈須玄竹(信徳, 7代玄竹), 用人支配高五百石, 辰10月3日暇済
後藤佐渡守より奈須玄竹(信徳, 7代玄竹)宛 内容: 御自分事自分支配江入候間明細書早々当宿所附今晩中自宅江可被差出候 以上
後藤佐渡守より奈須玄竹(信徳, 7代玄竹)宛 内容: 御自分江申渡御用之儀有之候間服紗小袖十徳着用明十一日五時半自宅江可被相越候若病気差合等候ハバ名代被差出候 以上
後藤佐渡守より奈須玄竹(信徳, 7代玄竹)宛 内容: 1. 繼目御礼登城要請(天保8年), 2. 御用之儀有之登城要請(天保9年), 3. 自宅江可 相成云云
武陵筆印 布地色彩日本畫
朝鮮産豹色彩絵
評定所より奈須玄竹 船橋宗鎭 森雲禎宛 写 内容: 評定所罷出誓詞可被致候云云
多紀元昕(安良)より奈須玄竹宛
杉浦兵庫 伊佐新法印より 奈須玄竹宛 木版刷
奈須玄盅(恒徳)より 増山河内守他4名宛 写 自筆草稿 付: 増山河内守外よりの返書上書
写 内容: 袴着用儀昔之通被差許様願度云云 御番医師, 御番外科連名上申書草稿
本妙寺より奈須玄盅(恒徳)宛 写 内容: 岡田勝太郎事龍孝儀今般願之通拙寺弟子云々
奈須玄竹宛 巻物 下向御共につき幕府より依賴状
写・和
写および版 仮綴 包紙4枚は写 主治17枚は刊
川崎局自筆 其他自筆書 巻物 将軍家より川崎局代筆にて奈須玄竹(初代)宛慰労状, 松平因幡守より同慰労状, 奈須家由緒書
奈須玄竹(恒昌, 初代玄竹)宛 写 次男元格死去に付上意の慰労状
包入 内容: 1. 文政9(1826)美濃国御料に出來たる餅米2粒 2. 奧州に出來たる朝鮮種の米2粒
写 奈須玄竹(信徳, 7代玄竹)御番医師拜命之節起請文草案
御勘定奉行 御勘定吟味役より御番医師奈須玄竹他3名宛
玄竹知行所百姓甚兵衛欠落云云 村役人一同久離帳外致度云々
奈須玄竹(恒昌, 初代玄竹)宛 玄竹次男元格死去につき将軍より慰労申伝状
奈須玄竹(信徳, 7代玄竹)宛 医業出精一段之事云云
付: 用紙寸法雛形写 袋入
水野采女より奈須玄盅(恒徳)宛
野田文蔵より奈須玄竹宛 写 仮綴 玄竹: 文化10(1813)改名して玄盅(恒徳)