荒俣宏旧蔵 博物誌コレクション
『一般と個別の博物誌』
Histoire naturelle, générale et particulière / par Leclerc de Buffon ... ; rédigé par C.S. Sonnini...
IIIF Manifest
周知のようにビュフォンは生前に『一般と個別の自然誌』を完成させることができなかった。 ビュフォンが長きにわたって園長を務めた王立植物園には、その優れた指導のお陰で多くの俊英が輩出していた。だが、総帥の死後、そのライフワークを引き継いだラセペードも、皆から事実上の後継者と目されていたにもかかわらず、『一般と個別の自然誌』完成に導くことはできなかった。革命後は研究職を離れ、ナポレオンのもとで行政に専念するようになったからである。 事業完成は意外にも王立植物園の外部にいた人物によって実現した。それがソンニーニである。 ソンニーニはフランスの博物学者で旅行家。リュネヴィルに生まれ、パリで没した。父はローマか ら来た商人で、ロレーヌ地方に定住し、そこで財をなし、スタニスラス王から貴族の称号まで授かっている。息子のシャルルはポン=タ=ムソンのイエズス会コレージュで英才ぶりを発揮。16 歳で哲学の博士号を取得している。自然科学への関心と裏腹に、父を喜ばせるために法律を学び、 1768 年、ナンシーで弁護士になる。生来の冒険好きが高じて、法曹界を飛び出し、海軍に入る。 1772 年、南アメリカ北部のギアナに派遣されると、水をえた魚のごとく探訪と調査に没頭、広大 な植民地を踏査してペルーまで足を運んだ(1774 年)。熱病に罹って治療のため帰国。持ち帰った珍鳥の貴重なコレクションを王立植物園の陳列館に寄贈し、モンバールのビュフォンのもとに 数ヶ月滞在する。ビュフォンは折から執筆刊行中の『一般と個別の自然誌』の「鳥類」の巻のため に、26 種の異国の鳥についての記述をソンニーニに依頼した。ついで、エジプトに赴いて当地の 自然をくまなく調査、さらにトルコ、ギリシャを訪れる。1780 年に帰国して、死んだ父が所有して いたマノンクールの土地を継承。園芸に没頭し、珍しい異国の植物を育てる。革命下では、アッシ ニア紙幣の暴落で財産を失う。パリに戻って科学研究に打ち込むが、イゼール県のヴィエンヌでコレージュの校長職を命ぜられ、2年ほどで退職。異国への憧憬やみがたく、1810 年、モルダヴィア 地方のダニューブ流域を訪れるが、またもや悪質な熱病をえて帰国。まもなく帰らぬ人となった。 本書はいわゆるソンニーニ版と呼ばれる『一般と個別の自然誌』127 巻で、初版本にはない総数 1123 枚の手彩色図版が収録されているのが強みである。ビュフォンの生前に刊行されていた総論、四足獣の自然誌、鳥類の自然誌、鉱物の自然誌、地球の歴史、さらに補作となる両性・爬 虫類の自然誌に加えて、魚類・昆虫・軟体動物・植物の自然誌を加えた網羅的な版本である。
(鷲見洋一編集・執筆『繁殖する自然―博物図鑑の世界』慶應義塾図書館、2003年 より)
詳細情報
- 著者名(原書)
- Buffon, Georges-Louis Leclerc, 1707-1788 Sonnini de Manoncourt, Charles-Nicolas-Sigisbert, 1751-1812 Daudin, François-Marie, 1774-1804 Denys de Montfort, Pierre, 1766-1820 Roissy, Augustin Félix Pierre Michael de, 1771-1843 Latreille, Pierre-André, 1762-1833 Mirbel, Charles François Brisseau de, 1776-1854 Jolyclerc, Nicolas,1746-1817 Sue, Pierre, 1739-1816
- 著者名(姓のみ日本語)
- ビュフォン、ソンニーニ
- 出版地・出版年(日本語)
- パリ 1799-1808年
- 言語
- フランス語
- 図版ページ
計1153
- 請求記号
- 120Y@543@127@1~127
- 資料種別
- 準貴重書
- 図版
- 一部公開