デジタルで読む福澤諭吉
慶応義塾から出されて「家庭叢談」「民間雑誌」その他の新聞雑誌に寄稿した福沢の短かい文章や演説の原稿などを集めた文集である。
初編上下、二編一二の四巻より成るが、最初からこの四巻本を企図したのではなく、明治十一年一月に「福沢文集」上下二巻を編み、翌年八月さらに短文を集めて「福沢文集二編」一二巻を刊行したのである。従って初編には題名に「初編」の文字はなく、また初編と二編とでは本の大きさも出版書肆も異なっている。
初編の初版本は極めて数が少なく、私は上巻だけの零本を見ているに過ぎない。和紙活字版美濃半戴判(一八・二× 一二・四cm)。淡黄色無地の和紙を表紙とし、題箋は剥落してわからない。見返しには赤色和紙を用い、子持罫の枠の中を縦三ツ割とし、「福沢諭吉著/福沢文集全二冊/明治十一年一月発兌 松口栄造版」と記し、左下に紫色の「常保堂蔵版印」と記した長方形の印が押捺してある。序文半丁、目録一丁半、本文五十四丁。版心には、「福沢文集巻之一」と丁数の文字が記されている。
同年四月には木版本の再版が出た。これもよく売れるために、活版を木版に改めた一例と見てよい。大きさは同じ美濃半戴であるが、仕上がりが初版より心もち大きい(一八・五× 一二・七cm)。鞘形卍つなぎの地紋の濃藍色の表紙で、左肩に子持罫の中に「福沢諭吉著福沢文集 上(下) 再版」と記した題箋が貼ってある。見返しも初版本と同様であるが、蔵版印は「慶応義塾蔵版之印」の朱印に改められ、枠外左下に「同年四月再版」の文字が記されてある。版心の文字および丁附は初版に同じ。
下巻は第五十五丁から第八十八丁まで。ウラ表紙の見返しに奥附があり「明治十一年一月十二日版権免許/同年四月再版御届/著述人東京三田弐丁目拾三番地 福沢諭吉/出版蔵版人同桜田本郷町六番地松口栄造」と記し、松口の名の下に「常保堂蔵版印」の朱印が押してある。
初編の再版本には別に一種の異装本がある。鞘形卍つなぎの地紋の濃藍色表紙で、仕上がり寸法は淡黄色表紙のものと同大であるが、見返しの蔵版印が「慶応義塾蔵版之印」に改められ、巻之二の奥附の松口栄造の住所が「同烏森一番地第九号」と改まり、常保堂の蔵版印もない。
二編は翌年八月の刊行で、本版半紙判(二二・五× 一五・二cm)、無地、または網目の中に「中近堂」の三字を配した地紋の淡黄色和紙の表紙で、左上に子持罫の中に「福沢文集二編 福沢諭吉著巻一(二)」と記した題箋を貼る。見返しは白和紙、子持罫の枠の中を縦三ツ割とし「福沢諭吉著/ 福沢文集二編/ 明治十二年八月新刻 中島氏蔵版」と記し、左下に「中島氏版」の朱印を捺す。序文一丁、目録二丁、本文六十丁。十行二十三字有界。版心には「福沢文集二編巻一(二)」と記してある。
巻二は本文五十三丁。ウラ表紙の見返しに奥附が記してあり、「明治十二年七月十二日版権免許 定価六拾銭/ 著者福沢諭吉/東京芝.区三田弐丁目二番地/出版人中島精一/ 同芝区三田四丁目廿六番地寄留」とあり、その左に売捌書肆名を列記して、東京の丸屋善七、山中市兵衛、大阪の梅屋亀七、前川善兵衛、丸屋善蔵、大野木市兵衛、武藤吉次郎、最後に慶応義塾出版社の名がその所在地名を冠して列挙してある。この奥附の版権免許の目附が「六月十九日」となっている版本もある。その相違の理由は明かでないが、七月十二日と記されてある方が先に出て、後にその日附を埋め木して改めたもののように見受けられる。
十一年四月刊の初編再版の奥附には福沢の住所が三田二丁目十三番地とあり、十二年八月刊の二編初版では、それが二番地に変っている。二番地は現在の慶応義塾所在地の代表地番で、十三番地は義塾前面の崖下の町地面に当る場所である。
詳細情報
- タイトル
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福澤文集. 上
- ヨミ
- フクザワ ブンシュウ
- 別タイトル
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Collected essays of Fukuzawa
- 出版地
- 東京
- 出版者
- 松口榮造蔵版、中島氏蔵版
- 出版年
- 1878
- 識別番号
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福澤関係文書(マイクロフィルム版)分類: F7 A27-01
請求記号: 福 27-1 著作