デジタルで読む福澤諭吉
木版半紙判(二二・五× 一四・七cm) 一冊本。表紙は本文と共紙の土佐半紙で、月桂樹のようなものをアーチ形に描き、その上に「明治六年一月一日兌」と横書し、右肩に長方形の枠の中に「壬申十一月官許」の印を押し、アーチの内部に「福沢諭吉著/改暦弁/慶応義塾蔵版」と三行に記し、左下に「慶応義塾蔵版之印」の長方形朱印が押してある。
見返しはなく、本文は太罫の匡郭の中に九行二十字詰、漢字平仮名交り総振仮名つきで、十九丁ある。その第十九丁は即ちウラ表紙で、オモテ半丁に「時計の図」が掲げてあり、ウラ半丁は白である。版によっては、そのウラ半丁に「製本所 東京芝三島町和泉屋市兵衛」と印刷したものもある。
「福沢全集緒言」の「改暦弁」の項に、太陰暦から太陽暦に改まるに際し、政府は一片の法令を出しただけで、この大改革の理由を国民に納得せしめるの注意を怠っているのを見て、福沢は傍より歯がゆく思い、風邪臥床中、床の上でおよそ六時間ばかりでこの書を脱稿したが、これを出版したところ夥しい発行部数を示し、著者自身も驚いたとの次第が記してあるが、現に或る版本には、最後に別に次のごとく印刷した一葉を追加して製本し直したものもある。
大陽暦の便なる、既に先般の被 仰出にて必然たる事に有之、毎年季候の早晩なく、耕耘播殖には最も便利に有之候処、兎角蒙昧の僻見より旧暦に拘泥し心得違の輩尠からす哉に相聞へ、以の外の事に候。就ては福沢諭吉著述の改暦弁五百部取寄候に付、管下村々へ頒布し其便不便を篤と弁知いたさせ度候条、戸長に於て此旨厚相心得、望の者共へは元価を以て下渡候様可致事。
明治六年二月 浜松県令 林厚徳
このように県令の命令を以て人民一般に読むことを勧めた例もあるのであるから、この書の発行部数が夥しかったのは当然といわねばならない。全集緒言では「三版も五版も同時に彫刻して、製本を書林に渡しさえすれば、直に売れ行く其有様は、之を見ても面白し」と記してあるが、その三版五版というのは、初刷りのままを冠せ彫りにしたものと見え、異版は見当らない。僅かに前記のように製本所の名を掲げたものと、それのないのとの差異を見るのみである。
詳細情報
- タイトル
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改暦辧
- ヨミ
- カイレキベン
- 別タイトル
-
Explanation of the new calender
改暦弁 - 出版地
- 東京
- 出版者
- 慶應義塾蔵版
- 出版年
- 1873
- 識別番号
-
福澤関係文書(マイクロフィルム版)分類: F7 A18
請求記号: 福 18-1 著作