荒俣宏旧蔵 博物誌コレクション
図版篇:図7
巻号頁数:p.131 版画技法:木版(手彩色) 刊行年:1606
16 世紀初頭、ポルトガルは遠征軍をインドに派遣し、ゴア、マラッカを攻め落として、通商の自由を獲得した。香料やさまざまな貴重品、珍品に混じって、当時のヨーロッパでは想像上の珍獣でしかなかったインドサイのゴムダが、かくしてリスボンに上陸したのである。サイは陸揚げされるとすぐ、競技場でゾウと対決したが、驚いたゾウが逃げ出して、勝負にならなかったという。ゴムダはポルトガル王がロ-マ法王に献上することになり、ふたたび船に運び入れられた。マルセイユに寄港した際には、フランス王フランソワ1 世がわざわざ見に来たほどの人気であった。ところが、ロ-マへの航路で船が難破し、ゴムダはジェノヴァ沖で海の藻屑と消えた。海岸に漂着した遺体はすぐに剥製にされ、剥製はローマ法王レオ10 世のもとに贈られている。 ゴムダはインド洋を航海する船の湿った船倉で皮膚病に罹っていた。その時の斑点が、到着先のリスボンでこのサイを写生した画学生から、モデルを知らずして木版画を制作したデューラーを経て、ゲスナーにいたるまで忠実に写しとられている。18 世紀末まで、全ヨーロッパはサイという動物をデューラーの版画によってしか知ることがなかった。すなわちこの期間のサイの図像史とは、ただひたすらデューラーというモデルのコピーの歴史にほかならなかったのである。 このサイの図は、後ろ足の部分を除いて、デューラーの有名な木版画と寸分違わないコピーであることが、デジタルマイクロスコープによる分析によって判明した。またこのドイツ語版のサイは、ラテン語版のサイの版画と同じ版木を用いていることも明らかになった。 本書においては、各章ごとに動物が一種取り上げられ、通常は8 つの節で構成されている。各節は欄外に印刷された文字で示されるが、同義語、住処、形態、生理学、心理的特徴、人間による利用、食用としての価値、医療上の効能、そして最後がそれ以外の追記事項すべて、たとえば名称の語源、その動物にまつわる寓話、諺のたぐいなどである。動物がアルファベット順に配列されていることは、よく非難の対象になるが、科学者としての怠惰を責めるよりは、むしろ本書を辞書として編集したいというゲスナーの意志を読みとるべきであろう。
(鷲見洋一編集・執筆『繁殖する自然―博物図鑑の世界』慶應義塾図書館、2003年 より)