インキュナブラコレクション

037

ヴァンサン・ド・ボーヴェ 『歴史の鑑』

Speculum historiale

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13世紀のドミニコ派の修道士、ヴァンサン・ド・ボーヴェは、時のフランス王ルイ9世の命を受けて、『自然の鑑』、『諸学の鑑』、『歴史の鑑』の3部から成る百科全書、『大いなる鏡』(Speculum maius)を編纂した(IKUL007, 009参照)。その後、主にトマス・アクイナスの『神学大全』からの抜粋を利用してヴァンサン・ド・ボーヴェ以外の人物によって『道徳の鑑』が編纂され、初期の印刷本では『大いなる鑑』は4部作となった(IKUL008参照)。その中でも『歴史の鑑』はもっともポピュラーであった。このインキュナブラ版は、フォリオ版の大型の書物で、それぞれ、155葉、176葉、175葉、191葉からなる4巻を合冊して1冊としている。15世紀のドイツで板に革張りで装丁された、総重量16.8 kgの大型本である。『歴史の鑑』本文と詳細な目次の他に、『大いなる鑑』全巻への前文を含む。
インキュナブラでは、しばしば本文のみが活版で印刷され、大型の頭文字などは印刷後に手書きで描き込まれることが多いが、本書では頭文字用に空けられたスペースは空白のまま残されている。その意味で印刷直後の状態を後世に伝えているのであるが、この巨大な書物の全ての頭文字を手書きで挿入するには相当な費用がかかったと推察されるため、資金面の事情から未完成で残されてしまったと思われる。後世の所有者が、装飾文字を真似た書体で一部の頭文字を黒インクで書き込んでいるが、大半は空白のままに残されている。全巻を通じて所有者による欄外書き込みが散見されるが、オウィディウスからの抜粋集の箇所には、特に集中している。欠落している行を補うとともに、欄外には『恋愛治療』(Remedia amoris)からの引用が記されている。また、別なページの欄外には、1581年のポーランド王ステファン・バトーリ(Stefan Batoriy、在位1576-86)のモスクワ大公国との戦役について、オウィディウスに言及しつつ記した書き込みがある。さらに、2カ所にドイツ人の署名があることから、本書がドイツあるいは東ヨーロッパで利用されてきたことが推察される。
『歴史の鑑』は複数のバージョンから成る多くの写本が現存しており、イギリスのみに限ってもその影響は大きかった。第一に、それは道徳的逸話(exemplum)の宝庫であり、説教の種本として多大な影響を及ぼした。13世紀末か14世紀初頭に編まれたとされ、ヨーロッパ中に広まったラテン語のキリスト教説話集『ゲスタ・ロマノールム』(IKUL005)を初めとした数々の説話集が、『大いなる鑑』特に『歴史の鑑』によっている。また、ジョン・ガワーの『恋人の告解』は『歴史の鑑』に112の逸話を負い、ジェフリー・チョーサーも『善女伝』のクレオパトラの物語、『カンタベリー物語』に見える医学的・錬金術的知識や、多くの歴史上あるいは伝説上の人物に関するエピソードを『大いなる鑑』から得ている。『歴史の鑑』はまた年代記としても重要で、イングランドだけでなくスコットランドでも、これを用いて製作された年代記が存在している。『歴史の鑑』第4巻は全てマケドニアのアレクサンダー大王に関する記述に充てられ、アレクサンダーに関する中世で最も長大な年代記である。ラノルフ・ヒグデン(Ranulph Higden)の『ポリクロニコン』(Polychronicon)や、中世に絶大な人気を誇った架空の旅行記『マンデヴィルの旅行記』(Mandeville’s Travels)は、未来が見え、しゃべることができる木々の話などをここからひいている。『歴史の鑑』の第4巻は、また、中世のアレクサンダー大王像を形成する重要な一伝統の端緒ともなった。その伝統とは、君主への東洋式の跪拝礼を拒否した哲学者カリステネスの殺害を、エジプトの神でギリシャのゼウスと同一視されたアンモンの神殿を訪れ、その神の息子であるという神託を受けて高まった、大王の狂気じみた虚栄心の結果とするものである。『歴史の鑑』は幾つかの独立した話を並べて架空の歴史的流れを作り上げ、この伝統はその後アレクサンダーの道徳的短所として広く取り上げられるようになった。しかし同時に、中世においては忘れ去られていた、重傷を負った大王が、自分が神の子であることを否定したという、道徳的長所も紹介している。さらに、『大いなる鑑』の影響は文学にとどまらず、美術にまで広まっており、イートン校やウィンチェスター大聖堂には、『歴史の鑑』からとったモチーフを描いた壁絵が残されている。

(TM, YO)

(松田隆美編、『Mostly British: Manuscripts and Early Printed Materials from Classical Rome to Renaissance England in the Collection of Keio University Library / ローマ帝国からイギリス・ルネサンスへ―慶應義塾図書館蔵稀覯書展』(東京: 慶應義塾大学, 2001), p. 105より一部改訂して転載。)

詳細情報

Author
Vincentius Bellovacensis [Vincent de Beauvais]
Place of Publication
[Strassburg]
Printer
[The R-Printer (Adolf Rusch)]
Format

fº

Date of Publication
[1476-80]; [c. 1473]
Binding

Contemporary German calf on wooden boards, rebacked.

Bibliographical Notes

Four parts bound in one; 155 leaves (of 156), lacking 1 blank at the beginning, 176 leaves, 175 leaves, 191 leaves (of 192), wanting 1 blank at the end; a stub remains between the 58th and 59th leaves (conjugate with the 54th leaf).

ISTC
iv00282000
Reference: 
Goff V282, HC 6245, IJL2 376, MB 15
Shelfmark
143X@13@1
Acquisition Year
1998
Provenance: 

Its probable East European or German provenance can be seen in marginalia. On vol. I, fol.129, there is an early MS marginalia referring to the 1581 campaign of Stefan Batoriy, Polish King, against the Muscovites and connecting the event to passages from Ovid. On the lower margin of part 2, fol. 29v is written ‘Joannes Leonardi Pfalizell' with the mention of the year 1599. On part 1, fol. 2r, a German ownership inscription dated 1821 can be seen, along with a signature by another owner erased by pen. On the front paste-down, there is a bookplate of Paul Helbronner (with the motto ‘Perseverantia'), the famous Alpine cartographer at the beginning of the twentieth century. Maîtres Laurin – Guilloux – Buffetaud, Paris, 27 October 1997 sales catalogue. (Cf. Mostly British, p. 99).