{"label":"通俗外交論","metadata":[{"label":"タイトル","value":"通俗外交論"},{"label":"タイトルヨミ","value":"ツウゾク ガイコウロン"},{"label":"タイトル_ローマ字","value":"Tsuzoku gaikoron"},{"label":"別タイトル","value":"Popular discourse on foreighn diplomacy"},{"label":"出版地","value":"東京"},{"label":"出版者","value":"飯田平作"},{"label":"出版者_カナ","value":"イイダ ヘイサク"},{"label":"出版者_ローマ字","value":"Iida Heisaku"},{"label":"出版年","value":"1884"},{"label":"識別番号","value":"
福澤関係文書(マイクロフィルム版)分類: F7 A40
\r\n請求記号: 福 40-1 著作<\/p>\r\n"},{"label":"解説","value":"
徳川幕府が諸外国と締結した不平等条約は明治時代の朝野の人々が常に心中に憤りを覚えたところであって、これの改正は明治政府の外交当局者の苦心してやまない問題であった。福沢はこの問題を一般人にわかり易く説明し、税則の不利を改め治外法権を撤廃せしむる日の来ることを促進するためには、日本人として外人に接する道を心得ねばならぬとの趣意を説いた。それがこの書である。
\r\n明治十七年六月十一日から十七日まで六回にわたり時事新報社説として発表され、同月四六判洋紙活版刷の小冊子として刊行された。淡紅色の洋紙の薄表紙で、「福沢諭吉立案\/中上川彦次郎筆記\/通俗外交論全\/ 明治十七年六月出版」の文字を飾り枠で囲い、序言四頁、本文四十三頁、時事新報の広告一頁、奥附一頁、発兌書目三頁。奥附には「明治十七年六月十一日出版御届\/ 同年六月出版\/定価金十二銭\/纂著兼出版人大分県士族飯田平作東京芝区三田二丁目二番地寄留」と記し、その左側に売捌所として、東京の丸屋善七、中近堂、時事新報社、叢書閣、大阪の中近堂支店、梅屋亀七、名古屋の中近堂支店の名がその所在地の肩書と共に列記してある。この奥附の売捌書店名の中に、慶応義塾出版社の名が消えて時事新報社の名が掲げてあるのは、従来は慶応義塾出版社の名で時事新報を発行していたが、明治十七年四月から慶応義塾出版社の名を改めて時事新報社と称するようになったからである。
\r\n巻末に掲げてある三頁の発兌書目録は、もとの慶応義塾出版社の上枠した書目で、これは同社が時事新報を発行するとき、一般刊行書は中島精一の中近堂に引き継いだもので、最後に発売所として時事新報社と中近堂との名が併記してある。<\/p>\r\n"},{"label":"ノート","value":"